成仏祈願(七)ホウシヤマとお芝居
- 真珠 法師山
- 2024年12月3日
- 読了時間: 3分
成仏祈願もそろそろ終焉が見えてきました。
ほら、極楽浄土はもうすぐそこです。
今回、一旦きちんと書いておこうと思ったのは
来年ねぇ
5周年になるからなんでやんすよ^^;
続けるつもりもなく始まったホウシヤマの上演プロジェクトが
あれよという間に回を重ねて早や4本目。
次、5本目かぁ…節目だよな。
ここから先、やって行くには
何となくはじまって~…でやってきたこれまでとは違う、
えっと~、覚悟?
的なものがいるんじゃないかななんて思ったりしたわけなんです。
今回は、そこへ向かうために、
ホウシヤマとお芝居について
自身で深く掘り下げていきたいと思います。

もともとお芝居はね
幼稚園から小学校中学年までは、あの何ですか、よくわかんないですが自治体とかがやってたのかな
子ども劇場?の会員に親がなってて。
大阪にいましたのでね、わりかし頻繁に、わりかしイイ感じの舞台を、あんまよくわかんない状態で観劇したりなどしていたのですね。
すごく覚えてるのはねぇ、「森は生きている」ですね。
演出も衣装も舞台装置も、実はまだ結構鮮明に覚えています。
そこからおそらく、憧れ
というか、コレわたしできんじゃね?
みたいな謎の感覚がありました^^; ナンダコイツw
そこから、転校していきなり高知へ。ハイそのころの高知はマクドナルドすらないド田舎でしたがね。
そこで成長して、高校進学。で、高校演劇という世界を知ります。
そこからですねぇ…ガッツリ演じるってことをやり始めたのは。
なんなら役のために半年以上に渡るストイックな減量に取り組んだりとか
したでやんすよ。
あとなぜか男の子役が多くてね、まぁナゼカではないか^^;
近隣校の女子に写真が闇で売られてたりしたそうでね^^;
モデル料もマージンも一切入ってこなかったけどね^^;
そこで、全国大会に出ました。ウチ、顧問が脚本書く系の演劇部だったんですけどね
彼的にも代表作となった「幻想・銀河鉄道の夜」ってやつで
カンパネルラやらせてもらったんですわ。
のちに、30歳の時に入所した某養成所で高校出たての同級生から
「え??あの幻想銀鉄の???ざべ、カンパネルラだったの!!???」
なんて言われて超ビビりましたが。
高校演劇界では、ちょっとした話題作になっていたんですねぇ。
その辺から、たぶんワタシもう、芝居をやらないという選択肢は
なくなってってたんだと思うっす。
結婚しようが子どもができようがおかげで元夫と不仲になろうが親に鬼ほど人格否定されようが
結局、芝居から離れていたのはムスメ1ゴウが幼稚園に入るまでくらい?
まぁ、その後のモロモロは省きますが、しばらく粘ったものの高知では思うような活動ができずで
ムスメ1ゴウの短大卒業を機に、高知から脱出(県民これを脱藩と言ふ)したんですけどね^^;
あ、その間のことはご興味あれば
下記リンクのBlogをさかのぼってもらえれば子細に書かれておりますので。
ちなみにもうちょっと突っ込んで書くと、
ワタシホントは芝居をやるために?
最近多いじゃないですか。シニアタレントの事務所。そういうところに所属して、映像からお芝居の世界で生きて行こうと思って上京したんですけどね。
まぁびっくりw。その矢先に末子、今のちびっ子を授かっちゃったりなんかして^^;
ふたたび、お芝居から遠ざかる生活に突入したんですね。
まぁ、えらく長くなってしもうとるやないですかw
これは次回に続く、ですね。はい、続きます!
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